悩み・不安を解消して、イキイキと楽しく生きる方法

いろんな悩みや不安を抱えていて、辛い思いをしている人が、それを解消して、イキイキと楽しく生きていくことが出来るようになる方法を、ご紹介したいと思います。

NHK連続ドラマ『あさが来た』のモデル広岡浅子はウルトラポジティブ

NHKの連続ドラマ『あさが来た』を見て、あさのモデルとなった広岡浅子に興味を持ち、『小説 土佐堀川』(古川智映子 著)を読んだ人が、ものすごく面白かったというので、私も本を借りて読んでみました。

 

本当に面白かったし、こんなに凄い人がいたのかと驚きました。

 
途中までの内容を、ざっとお話しさせて頂きます。

 

 

子供のころはお転婆

浅子は、1849年(嘉永2年)に、豪商三井家の一つ、出水三井家の六代目当主・高益の四女として生まれました。凄まじい人生を送り、1919年(大正8年)に70歳で没しています。

 

明治を代表する実業家で、教育者、社会運動家としても、大きな足跡を残しています。

 

子供の頃はすごいお転婆で、男の子がするような遊びをしていたそうです。

 

また、学問に強い興味があったけれど、「女に教育は不要」という当時の商家の慣習で、読書や学問を禁じられていたとのことです。

 

 

若くして手腕を発揮

そんな浅子は、1865年、17歳の時に大坂の豪商加島屋の当主、広岡久右衛門の次男広岡信五郎のもとに嫁ぎました。

 

加島屋は大阪を代表する豪商で、商いの中心は、諸藩への融資だったのですが、1871年の廃藩置県にともなう政府の取り決めで、債権の回収が非常に困難になり、加島屋は存続の危機に陥りました。

 

当時、浅子はまだ二十歳そこそこでしたが、加島屋の立て直しに奔走します。

 

「返済の猶予」「資金の回収」「融資の断り」などといった責任が重く本当に大変な仕事に、持ち前の行動力と胆力で立ち向かいました。

 

それも健康な状態ではなく、肺の病気で喀血することもあったのに、気力で踏ん張ったのです。

 

厳しくてタフな交渉を重ね、実績を積み上げて、周囲の人から認められて、加島屋の君主のような存在になっていきます。

 

 

先見性がすごい
そして、「これからの日本には米よりも必要なものであるのは石炭であると思って」という優れた先見性で、炭鉱ビジネスに乗り出していきます。

 

護身用のピストルを懐にしのばせ、九州の炭鉱で荒くれ男(炭坑夫)たちを指揮したというのですから、その胆力は半端ではありません。

 

世間の人は、そんな浅子のことを、正気ではないとか、狂人だと言いました。

 

でも、多くの問題を乗り越えて、炭鉱ビジネスを軌道に乗せます。

 

その後、加島銀行を発足させ、成瀬仁蔵と協力して日本女子大学校を創立し、さらに大同生命を誕生させました。

 

その間、逆恨みから腹を刺されて、何日も意識が戻らず、生死の境をさまよったり、乳がんに侵されたりもしたが、そういったことも乗り越えて、多くの偉業を成し遂げました。

 

 

 

断じて行えば鬼神も之を避く

この記事のタイトルで、「広岡浅子はウルトラポジティブ」と書きましたが、そんなもんじゃないですね。

 

断じて行えば鬼神も之を避く(ダンジテオコナエバキシンモコレヲサク)という言葉があります。

 

デジタル大辞泉で調べると、

 

《「史記」李斯伝から》 断固とした態度で行えば、鬼神でさえその勢いに気(け)おされて避けて行く。決心して断行すれば、どんな困難なことも必ず成功することのたとえ。

 

と説明されています。

 

広岡浅子の生涯は、まさに「断じて行えば鬼神も之を避く」で突き抜けていった一生だったように思います。

 

普通の人の何倍も、何十倍も生きたのではないかと思います。

 

私は、自己啓発書を読むよりも、こういったすごい人の人生、生きざまについて書かれた本を読んだ方が、はるかに感動が大きいし、自分の人生に対して、いい影響を与えてくれるのではないかという気がします。

 

この本、読んで絶対に損はないです。